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■ 始めに |
パネラーの紹介
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安房さんの作品は、誰の心をも、深く動かす不思議な力を秘めています。それらは子ども達には、どのように映っているでしょう? 安房作品が思春期の子ども達に届いていないとすれば、それはどう考えたらいいでしょう? 安房さんの描く多様な「子ども像」は、誰に向かって発信されているのでしょうか?
蓮見(司会):
この数年、安房さんの作品が再びいろいろな形で出版されるようになり、「安房さんの本を残したい」というこの会の願いのひとつは、叶えられて来たように思います。

そして、この会のもう一つの目標である「安房さんの世界を、次の世代に語り継ぎたい」ということについて、安房さんと子どもとの関係はどうなっているか、なぜ語り継ぐ必要があると感じるのかと言ったことを、ここに語り合う機会が実現し、嬉しく思います。

では、パネラーをご紹介します。 |
坂口 正彦さんは運営スタッフとして会のホームページ作成や、「文庫」の目録作成、データーベース化などを、中心になって担当してくださっています。坂口さんは私立の中学・高校の数学の先生をされていますので、今日は、進学校の中高生の現状や心境について、発言していただきます。
上松 恵美子さんは、長年、小学校の先生をなさってこられ、「花豆通信」7号に、低学年に安房作品の読み聞かせをなさった体験を書いて頂きました。今回はさらに踏み込んで、安房さんが描かれた物語の中の「子ども」は、現実の子どもにどのように捉えられているか、読み聞かせの体験をもとに、お話をうかがいたいと思います。
私蓮見
けいは司会を兼ねて、発言させていただきます。安房さんが「子ども」をモチーフ、発想の題材にされたのはなぜか。その辺を探って、安房さんの世界を語り継ぐことの意味を、明確に出来ればと思います。
では、はじめに坂口さんからお話いただきます。 |
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将来への夢や希望を、持てない子どもが増えている
坂口 正彦
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子ども達は「大きな朴の木」をどう読んでいるか
上松恵美子
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坂口:
初めまして、坂口と申します。「集い」で数えると第3回の頃から、会の活動に参加させていただいております。

今日は、読者としての立場、教壇に身を置く立場、会を手伝う立場から、私見ですが「安房さんと子ども」というテーマに、できるだけ即してお話させていただこうかと思います。私は私立の学校で中学生と高校生を相手に仕事をしておりますので、子どもと言っても、未成年という表現の方がぴったりとくる、子どもと大人の中間くらいの生徒達と接しています。

「今時の〜」うんぬんで語られる若者像は確かにあって、男子はゲームや漫画にはまり、女子は流行やファッションに夢中で、少し自己中心的で、配慮に欠ける部分もあり、将来に対する夢や希望を持てない子が増えているのは事実だと思います。

そんな彼らが、安房さんの作品に関心を示すのか、という事なのですが、それは十分にあると思います。同僚の国語の先生から聞いた話なのですが、高校生の現代文の授業で「こころ」を扱った後、その学年で「こころブーム」が起きて、文学の本を読む生徒が急増するのだそうです。

活字離れが進む中でも、きっかけがあれば彼らは関心を持って本を読み、楽しむことができるのだと思うのです。
「純粋さ」と「悲哀」、まっすぐな魂の魅力
安房さんの作品に、彼らの琴線に触れるものがあるのか、ということですが、それも十分にあると私は思っています。私は安房さんの作品の魅力は、登場人物の純粋な意図とそれが織り重なって生まれる悲哀にあると考えています。

たとえば私の好きな作品では、「鳥」の少女は自分がカモメであることを忘れて、オスのカモメに焦がれ、「夢の果て」ではアイシャドーの美しさにはまりすぎて、谷に落ちていったり、他にも、「ハンカチのうえの花畑」も菊酒におくさんの欲がくらみ、「木の葉の魚」のアイの心も、飢饉と家族の欲求との間でゆがみ、「銀のくじゃく」では国を守りたい老人の思いが、姫を縛り付けていて、「熊の火」「青い花」
などなど、安房さんの作品に出てくる登場人物は、意図や思いが強く真っ直ぐ現れています。

それらが、互いに妥協することなくぶつかったり受容することで生まれる矛盾や衝突が悲哀となって、それが何故か美しく描かれていると思うのです。特に、擬人化された登場人物ほどそれが強く感じられる気がします。

その単純化された登場人物の欲求は、発達段階の子ども自身から発せられる欲求と重ねられるような気がするのです。

そして、どちらも良くも悪くもない「非ご都合主義」な話の結末に至ることで、思い考えること、そして、心に響くものが必ずあるのではないか、と思うのです。
安房作品と「出会う」ために

ところで生徒を見ていると、精神的な成長が遅くなっている事を強く感じます。いわゆる第二次反抗期というのでしょうか、自我に目覚め、自分は何か、周囲は何かと言った、物事について考えはじめる時期の個人差がとても広がってきているように感じます。

物理的に恵まれ、即物的な娯楽にあふれた世界で、彼らはともすると刹那的に生きる傾向にあります。人ではなく物や情報とのやりとりだけで満足できる現代、彼らは、考える
という機会を大きく失っています。安房さんの作品にはそんな彼らの心の停滞に一石を投じる力があると思うのです。

そうなると最後は、彼らに安房さんの作品とどのように出会えるのか、ということが残ります。完全な新作は出ないという状況の中、彼らが安房作品の存在を知り、触れる機会を作っていくのは、実はこれが一番難しい問題だと思います。

今一番大きな力を持っているのは教科書だと思います。そして、コレクションの発売も大きい機会だと思います。加えて、近年は朗読や舞台などでも安房さんの作品を採り上げてくださる機会があると聞きます。これらは新たな解釈や脚色が加わるものではありますが、前述の通り新作の出ない中ではそういった新しい息吹もまた、必要な要素なのではないかと、個人的には考えています。
それらのあらゆる働きかけがきっかけとなって、安房さんの作品に関心を持ち、オリジナルの作品に触れることになれば、それはありがたいことだと思うのです。
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上松:
上松恵美子です。私は、子ども達は安房作品をどのように読んでいるかについてお話したいと思います。花豆通信7号にも載せて頂きましたが、子ども達に読み聞かせをしていく中で、安房作品全体についての感想は、心がほっとした・暖かい気持ちになる・不思議な気持ち・わくわくするなどで、作品のよさは伝わっていると感じています。

さて今回は六年生に、花豆の煮えるまでの中の「大きな朴の木」
の読み聞かせをした実践をお話し、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

主人公小夜は本当の母・やまんばの娘に会いたくて、朴の木に自分の一番気に入ったリボンをあげる事を約束します。でもそのリボンはこれから新しい母になるかもしれない北浦のおばさんからもらったとても大切なリボンなのです。
本当の母と未来の母との間で揺れる気持ち、又、大切なリボンを手離したくない気持ち、そこで朴の木にうそをつきます。
このうそをついた事に焦点を当てて子ども達の感想を追っていきたいと思います。
うそをついたこと
への疑問

・私がその立場だったらリボンをあげていたと思います。なぜかと言うとやっぱりお母さんに会えないとさびしいと思うからです。(IT)
・私は今まで人にうそをついても、「しょうがない」と思っていて反省した事がありません。なので小夜が朴の木さんに反省した事でうそは絶対いけないんだとあらためて気付きました。(OS)
・ぼくは人にうそをつく事はとてもいけないと思う。小夜ちゃんにはこれが人生の多数のレッスンの中の一つになるだろう。(KK)
うそをついたこと、又そのわけ

・私は小夜が朴の木にリボンをあげればよかったのにと思いました。結局小夜は、風になったお母さんではなく、自分の事や北浦のおばさんの事を考えていました。小夜の行った事は簡単に言えば半分良くて半分悪い事なのでしょうか。わかりません。と言うより、わからない方がいいと思います。だってそのわからない感じが私は好きで、安房さんの話も大好きなのです。(TM)
・小夜が一番いいリボンをあげなかったのは、自分のためだけじゃなく、北浦のおばさんに悪いから。北浦のおばさんを想う小夜の気持ちがよく伝わってきます。(MA)
うそをついたことを
自分に重ねる

・人にうそをつく事はダメ。でも私も、気持ちがわかります。だって大切な物をなくしたくないから。(SH)
・小夜が友だちの朴の木にうそをついてしまいます。うそをつかれた朴の木よりも、うそをついてしまった事を深く後悔する小夜の方が印象に残り、又親近感を覚えました。あの後小夜はどうするのかも気になりましたし、自分と小夜が重なりました。(YR)
・小夜がリボンを集めるのが好きだったり、朴の木にうそをついたりして、ちょっとぼくと似ていました。ぼくも小さい頃貝を集めるのが好きで、少しうそをついてしまったり、ぼくが話に出て来ているようでした。(IN)

自分と対話する機会を持てた子ども
うそをついた事へ焦点を当てて子ども達の感想を紹介して来ましたが、皆さんはどのように感じましたか。道徳的に言えば、うそをつく事はいけません。でも私たちは生きていく中で、うそをついてしまう事もあります。この作品にふれた事で、自分の心の中の想いに気付き、又、自分自身との対話ができた子ども達がたくさんいた事は、とてもすてきな事だったと思います。
さて、うそをついた事以外でもこんな感想がありました。

・新しくお母さんになる人ができて小夜が複雑な気持ちになり悩んでいたけれど、最後は気持ちを切り変えてやまんばやお母さんに「ごめんね」と言ったのが印象的でした。(MR)
・一つの言葉でいろいろな事を感じる事ができました。「きつねの窓」の音読も、安房さんの力に引き込まれてしまうようにスラスラ読めました。(MS)
・安房さんの物語が大好きです。読み聞かせがなかったらこんなすばらしい話と出会う事はなかったと思うと感謝です。私の人生変わっていたかも知れません。(WH)

子どもたちの素直な感想に胸をうたれます。
私こそ感謝です。
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蓮見:ありがとうございました。
私は中学校のスクールカウンセラーもしていて、今の子どもの置かれている大変な現実を日々感じているのですが、上松さんが読みきかせをなさった六年生は、そういった大変さを感じさせない、気持ちを読み取る力が十分に伸びている子ども達のようですね。子どもって本来的には、このような高い感性を持っていると感じます。

坂口さんの教えられておられる、高校生中学生では、活字離れが進む中でも、きっかけがあれば彼らは関心を持って本を読み、楽しむことができると思う、魅力ある安房作品は十分、彼らの琴線に触れるものがあるとのお話でした。内省的な気持ちが深まるこの年齢の子どもにも、安房作品が積極的に伝えられる必要があると感じます。
感情を丁寧に描く安房さんの物語
蓮見:さて私も少し、お話させていただきます。
安房さんは、現実の子どもに向けてお話を書かれたというより、安房さんご自身のアサーション・思いの表出、また誰の心の中にもあり続ける「子どもの魂」、すなわちインナーチャイルドの思いを出発点として、作品を生み出されたように思います。
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安房さんは、現実の子どもに向けてお話を書かれたというより、安房さんご自身のアサーション・思いの表出、また誰の心の中にもあり続ける「子どもの魂」、すなわちインナーチャイルドの思いを出発点として、作品を生み出されたように思います。

物語のモチーフ(題材)=継子の少女や魔ものの物語などの素材、を使いながら安房さんは、ふだんはなかなか言葉にはなりにくい感情を、自然な流れの中で淡々と語っています。

右手を切り落とされた魔ものの悲哀、あるいは、やさしさ、孤独、口に出せないような苦しさ、ふれあいやぬくもりを求める切なさ…、そうした感情が丁寧に表現された物語。

安房さんの作家としての卓抜さを、安房作品が好きな人は子どもから大人までみんな知っていて、だからこそ、安房作品を大切に感じるのだと思います。

こういう、とかくフタをしておきたいような、人間にとって本質的な、でも表現しにくい感情・心のありようを、子どもの読者に対しても、少しもワリビキ無しで、丁寧に提示する、それが安房さんの物語に対する態度だったのではないかと、感じます。
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「自分」を出すのを恐れる子どもたち
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読むことで、心が動き出す |
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坂口:
年代的なことから申しますと、小学生には感性があって、それをベースとして、学校は子どもを預かるような形になるのですね。

ところが中高生となると、先ほど蓮見さんが言われた、口に出せないような苦しい感情を、当然彼らがかかえこんでいることを、教師として子どもに接していて強く感じます。

友だち関係だけでなく、教職員、その周囲、また家族に対してのものもあるんですけれども、そういったものをだせないまま、実は、うちの学校でも年々スクールカウンセラーに申し込むものが増えているのが現実ですし、保健室にいく子もふえています。

自分と重ね合わせて話を読んでいく中で、自分を正直に出すことを極度に恐れるこどもが多いのは事実です。言う事によって、まわりの反応が基本的にプラスに考えられないのですね。言うと、マイナスになるんじゃないかと・・・。
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坂口:安房さんの話に出てくる人物には、そういう意味での遠慮が少ないように思われます。比較的に自分の信条に正直に答える姿があって、それを見てみることによって、彼らが今の心の思いに気づく、感じるものが必ずあるかなと思います。

自分と重ね合わせたり、自分と自分の心の中にある思いと対話をするという事に非常に大きな意味があると思うのです。やはり、さまざまな形でとらえているそのそれぞれが、彼らにとって、率直な心情であって、それを受け止めて、じゃあそれをどうするかということを前向きに持っていくことが、安房さんの作品を読むことによって、自分のなかで反芻してできるとすれば、大変すばらしいことかなと感じます。

しかし、自分と重ね合わせるということについてはやはり、物事を自分基準で考える子が多いのも事実だと思います。

あまり考えるということをしていなくて、とくに作業的に物事がマニュアル化されていて、それがこなされてしまう。要領はいいが主体性は持てないという子もけっこういるんですね。

そういった心の停滞みたいなものを安房さんの作品を読むことによって、その止まっている状態に一石が投じられるような効果が、期待できると思いますし、逆にそういったことを内心に秘めている子たちには、非常に共感できるものがあるのではないかなという気がします。
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作品に、真摯に向き合う子どもの感動を大切にしたい
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「きつねの窓」は、友人の男性が朗読したのですが、私だったら四角い窓を別の世界つまり死の世界を見ると考えて読みますが、彼は四角い窓から希望を見ると感じて朗読しました。
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上松:今、私は退職をして、子どもたちの大切な日常生活の部分はこちらに置いておいて、読み聞かせをさせてもらい、いいとこどりをしていると、あらためて感じています。情緒が不安定な子がいるクラスでも、よく静かに聞いていたといわれるんですね。

心の重荷を抱えている子と安房さんの作品のリズムが合ったのかもしれません。いろいろな子ども達が、現実を抱えている中で、ちょっとしたある瞬間だけでも、こういういい風に吹かれることは、すてきなことだと思います。

それから、私は、自分の安房作品に対する思いが、子どもに伝わればいいなと思って、読み聞かせを始めたのですが、本音でいえば、子ども達の感想を読んではじめは、「えっ」と思うこともありました。

たとえば、うそをついちゃいけないとストレートに書かれた時、この作品はそうじゃないでしょと思いながら読み続けたのですが、よく考えると、ひとりひとりが思うそういう感想が大切であり、又さらにその子が次に読んだときに変わる可能性もあるのではと考えました。そして更に、子ども達の感動がいとおしく感じられるようになりました。

安房作品を子どもたちの心に残すにはどうしたらよいかということは、なかなか難しい問題です。やはり作品にふれる機会を作ってあげることが一番大事だと思います。

学校では、図書室、各区市町村では、図書館に本を置いてあげること、それから本の紹介とか読み聞かせなどを、事あるごとにやっていけたらいいんじゃないかなあと思います。

それから中高学年では、感想文の発表会や交換会をしてもいいかなと思います。ただ個人的には、安房作品はひとりで読みたいので、論じ合うことはどうかなと思ってしまう、両面があるのですが。
改めてチャレンジしたい安房作品の朗読
―フロアから
蓮見:
この辺でフロアのかたがたのご感想を、伺いたいと思います。

松本忍:
一週間前に、「きつねの窓」と「花豆の煮えるまで」の朗読会をしました。中年の男性が多い集まりでしたので、少し違った意見が出ました。
私の朗読した「花豆の煮えるまで」でいうと、「おばあさんが母親の死を孫に伝えるときに、母親は山んばの娘だったというおとぎ話を作ったのではないか」、「部落の出身のお母さんで、娘と一緒に暮らしていけなかった、それでおばあさんが孫をいたわって、こんな話をしたんだろう」、などの感想までありました。全体にみなさん、非常に人間的に豊かな作品だった、といっておられました。
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一般に男性は、死ぬか生きるかの戦いをくりかえして実人生を暮らしてきていますが、朗読した彼も聞き手の男性たちも、とても感動し、中には帰りに本屋へ本の注文に寄ってくれた人もいたそうです。

蓮見:
小夜の悲しみに共感するのではなく、傷ついた子どもをいたわり大切に見守る大人という視点からの感想が、新鮮に感じられます。働き盛りの男性にも、また違った側面からの安房作品の世界の魅力を感じて頂けるんですね。
三浦ノン:
私は「ストーリーテラーズ」というグループのメンバーです。今までは立体文学として大人向けの作品を手がけてきました。現在、安房作品を3作、子ども向けに構成して演じたいと練習している最中です。
初めて子ども向けの作品に取り組むので、試行錯誤していますが、今日、感想文をたくさん聞かせて頂いて、改めて子ども向けに演じることに希望を持って、安房さんの作品にチャレンジしていこうと思いました。

石井光恵: 貴重なお話をありがとうございました。六年生なので、感じたことをしっかりした文章で表現していることに驚きました。やはり道徳の建前にとらわれないところに、印象深いものがありました。嘘をついてはいけないと分かっていても、嘘をつかなければならない時もあるということを、子どもは理解しているのです。杓子定規ではなく、その作品の中ではどうなのかということを、子どもはちゃんと捉えているのですね
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蓮見:
石井先生は、日本女子大の児童学科准教授でいらっしゃいます。「目白児童文学」の安房作品掲載について、初期からずっとご尽力くださいました。
子どもの感性を大切にしつつ、
若者たちに安房作品を届けたい
蓮見:
そろそろ、まとめの時間になりました。安房さんが真摯に書かれた「心のありよう」をどう受け止めるか、今日は小学六年生の新鮮な感性を通して知ることができました。

しかし思春期になると、「傷つくのがこわくて、心にフタをして、自分の心で感じることをやめてしまう」傾向が起こります。「感じる」ことをやめてしまうと、自分を見失い、無目的、無価値感、虚無感などの傾向が増してしまいます。

だから、他者や社会や環境のストレスを強く受け始める思春期〜青年期に、安房作品にふれることは、「自分の心が感じる“感情”を認めること、再び感じはじめることを助けてくれること」、それにより「自分を取り戻すこと」になると思いました。

子どもたちの豊かな感性を尊重しつつ、思春期の若者達へと安房作品を届けることは、「花豆の会」の大切なテーマだと、あらためて感じました。

みなさん、ありがとうございました。
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編集/南史子/生沢あゆむ/根岸一博/蓮見けい
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