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今日は、『夢の果て』のためなら、安房さんのためなら、たとえ火の中水の中、地の果てまでも、そんな思いで、話すことが苦手なことも省みず、ほんの少しだけお話しさせていただきに参りました。
まず、やなせたかしさんとの出会い
安房直子さんと私が、作品を通じて出会ったのは今から三十年以上も前、一九七四年のことです。
そのころ、『詩とメルヘン』という抒情にあふれた月刊誌を、やなせたかしさんが創刊されたばかりだったのですね。 安房さんのファンでこの月刊誌を知らない人はいらっしゃらないと思います。ちょうど多感な年代に出会って、影響を受けられた方も多いと思います。
表現する側としても、プロとアマチュアの区別なく、同じ舞台でほとんど制約なしに表現することができましたし、たいへん大きな画面を与えられましたから、とてもやり甲斐がありました。惜しみなく情熱を注げ、力の限りやってみたいと思える素晴らしい場でした。そこで私は、たいへん意味のある幸運な出会いをすることになるのです。
まず、やなせさんとの出会いですが、学生時代に私は「曙橋」という小さな街の小さなアパートに住んでおりました。学校へ行くのにはバスで新宿駅に行くか、長い坂道を登って地下鉄・丸の内線の四谷三丁目駅まで行くかの二つのルートがあったのですが、私は情緒のある坂道を歩くほうが好きでしたから、だいたい四谷三丁目駅へ行くほうを選びました。その坂道のなかほどにですが、何があったと思いますか。
「やなせたかし」という控えめな表札の出た、蔦の絡んだ控えめな家があったのです。
「あの漫画家のやなせたかしさんの家はここなんだ」と、思いながら毎日通っていたのですが、私にはご縁なんかまったくない方だと思っていたのです。ところがところが、実はちゃんとご縁があったのでした。
最初に出会った作品「ほたる」
何年かたって、なんとその家の住人、やなせたかしさんの『詩とメルヘン』から、絵をお願いしたいと依頼がきたのです。単なる偶然なのか深い繋がりがあるのか、そのときは深く考えもしませんでした。
やなせさんは、安房さんの作品を読まれて、味戸ケイコと組ませてくれました。やなせさんは何気なくなさったことだと思うのですが、これはあとでお話ししたいと思いますが、安房さんとは実に不思議な糸で繋がっていたのです。運命とはなんて不思議で神秘的なのでしょう。
十年以上にもわたっての連載でしたが、一番初めに出会った作品は「ほたる」でした。 この作品を読ませていただいたとき、頭のてっぺんからつま先まで、何とも形容しがたいものに抱き取られていく感じに包まれたのです。感動するとか感激するとかというのとは、もっと違うものでした。あっ、魂のなかに同じ水が流れているという感じでした。この文章のどのシーンを切り取っても、私の感性を静かに揺さぶるものばかりでした。
柿の実色の明かりが灯った山の駅の柵によりかかって貨物列車を見ている一郎。 後ろで結ばれた大きなリボンの白い服を着たかや子。
ホームに忘れられたようにぽつんと置かれたトランクにちょこんと座った、かや子にそっくりな女の子。
トランクの中から舞い上がる花吹雪のような無数のホタル……まるで無言劇のような静けさに満たされた画像が、いくつも浮かび上がってきました。
運命的な出会いであったと思います。
「ホタル」以後、十六編、全部で十七編の作品でおつきあいさせていただきましたが、安房さんの豊かな想像力に私は常に啓示を与えられながら描いたような気がいたします。
底に流れる同じ水の流れ
青いアイリス畑のなかへ走りながら消えていく少女。
海の上を着物の裾をひるがえして、滑るように走っていく奥さま。
燃えるような夕焼けのなかに、うつむいて立っているヒマワリの精の娘など。
安房さんの想像力が味戸ケイコの鉛筆や筆を動かしたのだ、だからこそ表現できたのだという気がいたします。
夢と現実、生と死が混沌としている世界。光と影が優しく愛らしく、そして妖しく悲しく交錯する世界。
こんな私のありきたりの言葉では、くくることのできない不思議な魅力を持った安房さんの宇宙。その安房さんの宇宙に私が共鳴したのです。そしてお互いに呼応していったのかもしれません。もしも読者の方で、ふたりがしっくりと溶け合っていると感じて、その世界の中に入って来られる方がいるとしたら、その響きが木霊のようになって、その方にも届いているからなのではないでしょうか。そして、このふたりの底に流れる水と同じ流れを、その方たちもお持ちなのではないでしょうか。
このごろ、しきりと空気感というものを思うのです。この空気は私の場合、生まれ育ったハコダテという街に繋がっていくのですが、ハコダテという街は淋しい街だったなと思います。そんなふうにイメージされるのは、私の少女時代の心の問題、心の内面ともかかわりがあるのだと思いますが、海も深いかかわりがあったのではないかと思うのです。
心の内にある
暗く淋しい海
小さいころから、私は海にもの凄い恐怖心を持っていたのです。穏やかで静かで明るい海も見て育ってきたはずだとは思うのですが、ハコダテの海のイメージは、暗くて淋しい海しか、私の心の中にはないのですね。小さいころ、父とボートに乗っていて、落ちて溺れた体験や、小学生のとき、台風で洞爺丸転覆事故が起きて、それはそれは凄い数の人が海底に沈んでいるというイメージから離れられなくて、ということもあったのです。また、夜など海が時化たりすると、海鳴りが船の汽笛といっしょに聞こえてきて、どんなに布団をかぶっても恐ろしい音で聞こえてくるのですね。
また、土用の丑の日になると、母は近くの大森浜へ子どもたちを連れて行きました。ここは石川啄木がうたった浜ですが、この日に海の水に足を入れると、一年中健康に暮らせると母は信じて疑わなかったのです。子どもたちを代わる代わる海に入れたのですが、私は母が何をしても、どんなに手をつないでくれていても、一歩足を入れたらズルズルと体が引きずり込まれていってしまうように思えて、真っ青な顔になりました。
それで、私の海の原風景はこんな大人になった今でも、そんな子どものころ見て感じた海なのです。
こんな海を同じころ見ていて同じように感じていた方がいらっしゃったのですね。不思議でたまらないのですが、それが安房さんだったのです。私は安房さんの生い立ちなど何も知らなかったのですが…。
ティールームでの長いおしゃべり
一九九二年に偕成社の編集の別府章子さんから、安房さんの本の挿絵をお願いしたいという依頼が来ました。「安房さんが、味戸さんにぜひお願いしてもらってほしいとおっしゃっている」と。私はぜひ描かせてほしいと返事をしました。
それで早速、新宿のティールームで、打ち合わせることになったのですが、安房さんが殊の外喜んでくださって、意外にもこの日、打ち合わせにもいらしてくれたのです。私の人生はびっくり人生といってもいいもので、それまでたくさんご一緒の仕事をしてきましたが、すべてお任せしますということで、ただの一度も打ち合わせというものをしたことがなかったのです。
とても嬉しかったので、この日のことは何もかもはっきり覚えています。
私は張り切って紫陽花の花を胸に挿して行きました。安房さんは白いワンピース姿で籐のバッグを持ってサンダルを履いておられました。声が透明な楽器みたいに澄んでいて嬉しそうな笑い声はキラキラする光のようで、とても明るい日向のような印象を受けました。なにせ、こんなにきちんと落ち着いてお会いするのは初めてでしたから、安房さんって小鳥のように明るい方なのだなあと思ったものでした。
安房さんはこの作品への思いや、絵についての希望を話されました。自分が育った頃の時代設定で、小夜という少女を描いてほしい、と。「花豆の煮えるまで」というタイトルも、別府さんと話されて、その場で決められました。
別府さんが帰られてからも、二人ともなんだかとても別れがたく、このまま帰ってしまうのがもったいなくて、懐かしくて二人とも何でかわからないけれどもわかるというような感じで、いつの間にか、ごく自然に別のティールームの椅子に座っていたのです。
安房さんは、お人形のこと、リボンのこと、お料理のことや、息子さんが「大人になってだんだん離れていくのが寂しい」など、たくさん話されました。
途中でミルクのグラスを倒してしまって、安房さんはあわててハンカチでテーブルの上を拭かれました。
「ほんとうにごめんなさい。私っていつもこんな調子なの」ってお茶目そうな表情をして、それがとってもかわいらしい感じでした。私は、とても親しい気持ちを抱きました。
実は私も凄い天然ボケで、いつも常識では考えられないような失敗ばかりしていましたので、「私のほうがもっと凄い失敗をするんです」といって、それからはお互いに失敗談をいくつもいくつも披露しあって、心から笑い合いました。
「仕事ではほとんどミスをしないけれど、お互いに執筆や制作に気をとられていると、日常の中ですっぽ抜けてしまうことが多いわね」
と慰めあって、作家安房直子ではなく、日々の暮らしの中で生きておられる安房さんに触れることができました。ご主人の峰岸明さんが見守り支えられて、静かで平和な幸せな生活があったからこそ、安房さんは安心してたくさんの優れた作品を執筆し生み出すことができたのですね。私も夫が支えてくれて、なんとかささやかな暮らしを保ってくれていたから絵を描いてこられたと思っていましたので、安房さんのお話に心から共感することができました。
そのあとなのです。中学のとき、おとうさまの転勤でハコダテに住んでいたということを伺ったのは。二人は同じ年に生まれて、同じハコダテという街に住んでいたのです。とても驚きました。
そして、もっと驚いたのは、
「函館の海の色って不思議な色をしていたわね。暗くて恐いみたいだった」
と、いわれたことでした。安房さんと私は同じ年齢のとき、ハコダテの海の色を見て、似たような感情を抱いていたのです。これは凄いことですね。
先ほど、安房さんと私の内には同じ水が流れていると感じたといいましたが、水だけではなく同じ空気までも流れていたのです。
安房さんにいただいた大切なもの
そんな二人がトウキョウの、それも同じ『詩とメルヘン』という月刊誌の中で出会うのですから、本当に不思議な糸で繋がっていたのだと思います。
安房さんは海の出てくるお話をたくさん書かれていますね。「海の館のひらめ」とか「鳥」とか「鳥にさらわれた娘」とか……。この『夢の果て』の中だけでも「夢の果て」「青い貝」「奥さまの耳飾り」「木の葉の魚」と四作もあるのです。これらの作品を書かれたとき、果たして安房さんは、心の中の函館の海を見つめられていたのでしょうか? どうだったのでしょうか?
こんなに親しく二人っきりでお喋りできたことは、本当に不思議な出来事として、私の中にしまわれています。遺作となる作品に絵を添える仕事を与えてくださって、そのうえ私にこんな不思議なプレゼントをしてくださったのですから。
それまできちんとお会いして話をしたことはなかったのです。一度だけ挨拶を交わしたことはありました。それは私の『あじさいの少女』という本の出版記念会と初めての個展のオープニング、この二つのお祝いを兼ねての席で、今から二十三年も前の話です。このときの私は緊張のきわみで、倒れる寸前という感じでした。けれど安房さんと初めてお会いしたにもかかわらず、これは不思議なのですが、初めてお会いした方のような気がしなかったのです。
その後、私の個展に何度か足を運んでくださいましたが、お目にかかれたことはありませんでした。「はくちょう」の絵を買ってくださったこともありました。お便りも何通かいただきました。
「私はトリが好きです。味戸さんの絵がそばにあってうれしいです」
とても淡々としたお付き合いだったと思います。 それなのに『花豆の煮えるまで』のお仕事で、あんなに濃厚に安房さんに接することができたのが不思議でなりません。安房さんは別府さんとも繋いでくれました。それにこの本で、「赤い鳥さし絵賞」というプレゼントまでいただきました。
『白樺のテーブル』と美樹ちゃん
プレゼントといえば、安房さんはその作品を仲立ちにして、私にかけがえのない人を何人も与えてくださいました。
『白樺のテーブル』という安房直子作、味戸ケイコ絵の絵本があります。この絵本を愛読していた美樹ちゃんという少女のお母さんで、井野口慧子さんという詩人の方から、ある日、といってももう二十五年くらい前の話なのですが、広島から突然電話をいただいたのです。
「今、東広島の美術館で絵本原画展が開催されていて、娘の好きだった『白樺のテーブル』の原画も展示されてあります。どうかこの絵を譲っていただけないでしょうか」と。
美樹ちゃんは「私、なんでだかわからないけど、このお話が好きなの!」といって病院のベッドでも見ていたのだそうです。けれど、たったの十一歳でこの世を去ってしまわれたというのです。
井野口さんと何度もお便りを交わすようになって、美樹ちゃんのことを知れば知るほど、前から知っている少女のような不思議な気持ちに打たれていったのです。重い病気を抱えながらも利発でキラキラ輝くように明るく、周りにいる人たちをも幸せにするような少女でした。ピアノを弾いたりバレエを踊るのが好きな少女でした。文を書いたり絵を描いたり、小さなビーズのお人形を作るのが好きな少女でした。そんな美樹ちゃんの作品を見ながら、私は不思議な気持ちに満たされて、『あじさいの少女』という本を作りました。
『白樺のテーブル』が生まれたちょうど同じ年に美樹ちゃんが誕生しているのです。白樺の精の少女が、あじさいの咲き乱れる森の奥へ走りながら消えてしまうシーンがあるのですが、美しい樹という名前を持った美樹ちゃんが消えていったのも、ちょうど紫陽花が盛りと咲くころだったそうなのです。
美樹ちゃんのお母さんの井野口さんとは、あれからずうっと仲良くしていただいており、安房さんは美樹ちゃんを私に、そして井野口さんをも繋いでくれたのでした。
「花豆の会」と小平範男さん
もう一人、小平範男さんという方はたいへんな安房さんのファンでした。味戸ケイコのファンでもありました。厳しい真っすぐなまなざしを持った方で、岩手でりんご園を営んでおられました。小平さんは大学を卒業されてから、自分の望んだ道が見つからず、鬱々として心の折り合いがつけられず、悩みぬいて死さえ考えていた時期に、運良く安房さんの作品と出会って救われたのだといわれました。
先ほど、お話しした初個展と『あじさいの少女』の出版のお祝い会で、私が初めて安房さんにお会いしたのと同じように、この席で初めて小平さんにもお会いしました。安房さんと小平さんも、初めて会われたのだと思います。井野口さんも安房さんと小平さんにお会いになったのですね。
この日、小平さんは大きな段ボール箱を開けて、「サインしていただけないでしょうか?」といわれました。中には、安房さんと味戸ケイコの本がぎっしり入っていたので、本当にびっくりしてしまいました。
これも不思議なことなのですが、小平さんは「花豆の会」の世話人をされている蓮見啓さんと、作家宇佐見英治氏の関係で知りあわれていたのですね。安房さんの七回忌の頃に、「花豆の会」発足のきっかけをつくられたのも、小平さんだったのです。安房さんは小平さんをも私に繋いでくれました。そのことをなぜ過去形でいわなければならないかといいますと、小平さんも若くして、安房さんと美樹ちゃんと同じ世界へ逝ってしまったからなのです。
『詩とメルヘン』井上富雄さんとの再会
さて、ようやくこの『夢の果て』の話に入りますが、二〇〇四年で『詩とメルヘン』が三十年をもって休刊ということになりました。『詩とメルヘン』は永遠に続くように思っていましたが、やはりどこにでも終わりはありますね。そのお別れパーティーが開かれたので、なんとも寂しい気持ちで出かけていきました。
そしてその会場で、なんとあのころの『詩とメルヘン』編集者だった井上富雄さんに偶然に再会して驚きました。井上さんは、あのころの安房さんと味戸ケイコの連載を担当してくださっていた思い出深い編集者さんでした。偶然と思ったのは私の大きな間違いで、井上さんはちゃんとした計画を胸に秘めて、いらしていたのです。
「あのころの安房さんと味戸さんの連載をまとめて出版したいのですが、如何でしょうか?」
と、ご相談くださったのですから。
不思議な糸はここでも繋がっていたのを感じました。
現在は瑞雲舎の社長になっておいででした。
「ずっと長い間、この本を出したいと思っていました。これは恐らく、自分にしかやれないこと、自分の使命だと思ってここにやって来ました」
と、井上さんはいわれました。
「私もずうっとそう思っていました」と、私はまるで夢を見ているような気持ちでそんなふうに答えていたのです。ずうっと思っていた夢が形になろうとしている。忘れ去られたとばかり思っていた作品たちが再び息を吹き返そうとしている。あの作品たちをちゃんと覚えていてくれた人がいらしたのだ。そして蘇らせようとしてくれている。こんな嬉しいことはありませんでした。
自分でいうのもおこがましいのですが、このまま埋もれさせてしまうにはあまりにも可哀想だという絵も、何点かありましたし、安房さんとご一緒した意味のある仕事でしたから、もう一度光を浴びさせてあげることができたなら、どんなに安房さんと味戸ケイコの作品たちも喜ぶことだろうと思いました。
井上さんが作ってくれたページ割りによると、絵がかなりの枚数入ることになるのがわかりました。それも全部カラーでということなので、びっくりして、これは凄い本になるのではないかと思いました。
昔の絵がちゃんとした形で残っているか心配でしたが、昔の絵を引っ張り出して、なんとか全体の三分の一は使えそうなのでホッとしました。小平さんの奥様、小平玲子さんから二点と、K美術館の越沼正さんから二点を貸していただきました。残りは新しく描きたいと思いました。
それで、四か月以上を費やしてしまいましたが、あのころに戻ったような新鮮な気持ちになって描けた、至福の時間でした。新しく描いた絵の出来映えはどうだったのかはわかりませんが、この十七編の物語を繰り返し読むうちに、昔よりはるかに安房さんの作品が好きになっているのを感じました。
井上さんのなかには最初からこの本のイメージが出来上がっていらしたようで、「損得抜きで、納得のいく最高に良い本を作りましょう」といってくださったのです。こんなに尊敬と信頼のできる力強い言葉はありませんでした。
こうして一年は瞬く間に過ぎて、二〇〇五年十二月にようやく出版の運びとなりました。埋み火の中から再び命を吹き込まれて、静かに燃え上がったようでした。
安房さんとの深く不思議な繋がり
これは『詩とメルヘン』という場があり、安房直子さんという魅力的な作家の作品があり、味戸ケイコの絵があり、井上富雄さんの粘り強い思いがあったから……これらが深く不思議な糸で繋がっていたからこそ、誕生できた本なのですね。
安房さんの作品世界は、三十年たった今も色褪せることなく、いまだに光を放っているように思えます。皆さんもきっとそう思われているのではないでしょうか。
どんな作家の作品でも、それに共鳴し遺していきたいという思いを持った人に恵まれなければ、忘れ去られてしまうでしょう。ですから、この本の出版はたいへん意味のあることと思っております。誇りを持って、はっきりそういえます。
そして、この本を大切に思ってくださる方たちに御礼をいいたい気持ちでいっぱいです。どんなに意味のある本が誕生したとしても、それを大切に思ってくださる方たちがいなければ、その素晴らしい意味も吹き飛び、輝きも消えてしまうでしょう。
安房さんを中心とした不思議な糸はまだまだ長く、彩り濃く紡がれ、繋がれていくと思います。この「花豆の会」を支えてくださっている、蓮見啓さん、南史子さん、生沢あゆむさん、そしてお手伝いしてくださっている方たち、また安房さんの作品世界を愛する方たちとも、これからも深く深く繋がっていくと思っています。
この短い文章は、安房直子さんが『詩とメルヘン』誌上に、私のために書いてくださったものです。
味戸ケイコさんの絵の中の少女に、私は、いつかたしかに出会った事があ ると思う。絵の中の少女は、風に吹かれて、花を摘んだり鳥を抱いたりしている。その髪の毛のひとすじひとすじに、私は、たしかな手ざわりを感じる。花の匂いも、鳥の羽ばたきも、闇の深さも光のまぶしさも、ふしぎなほど鮮やかにリアルに伝わって来て、見るたびに、私は、はっとする。 最後になりましたが、このような素敵な方たちとの語らいの場を作っていただきまして、有難うございました。
2006.05.14「花豆の会の集い」 での講演原稿 |