安房直子さんの世界を語り継ぐ 花豆の会

花豆通信 第8号 2006年8月20日発行
 
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           目  次

□花豆ライブラリーG
  ◆単行本未収録作品「きつねの灰皿」
 □第七回「花豆の会の集い」 報告
  ◆ 味戸ケイコさんを迎えて  安房さんの想い出溢れる会 根岸 一博
□その他
 ◆安房直子さんを通じてのかけがえのない出会い――『夢の果て』の出版に際して 味戸 ケイコ
  ◆ 安房さんの愛した図書館から 蓮見けい
  ◆第二花豆文庫 軽井沢に誕生! 生沢あゆむ 
  ◆通り抜ける風の音ー安房さんの山荘 坂口正彦
  ◆花豆の会の活動
  ◆花豆文庫
  ◆2005年度 会計報告
  ◆〜花豆・粒粒〜




1955(昭和30)年3月
仙台市立片平小学校卒業
市長賞授賞式の際に撮影

 花豆ライブラリーG
 きつねの灰皿

安房 直子   .

 山には、誰もいません。あとからのぼって来る人も、ありません。なあに、どうせ誰も見ていないさと思いながら、山本さんは、切株にすわって、たばこに火をつけました。と、そのとたん、うしろで、けたたましい声がしました。
「たばこ、ごえんりょください」
びっくりしてふりむきますと、これはまあ、やぶの中に、一匹のきつねが、金茶色のしっぽを、ふり立てて、じっとこちらをにらんでいるのでした。ぎょっとして、山本さんは、立ちあがりました。それから、ふうっと、おそるおそる煙を吐きますと、きつねは、
「たてふだの字が見えなかったのですか」
と、とがめるように言いました。山本さんはうつむいて口の中で、もぞもぞと、いいわけをしました。とても疲れていたもんだからとかなんとか……。きつねは、ふんふんと、その言いわけを聞いてから、
「ま、その気持もわかります」
と、山本さんのそばへよって来ました。

(本文より一部抜粋)


安房さんにタバコとは意外な取り合わせですが、これがいかにも愛煙家の気持ちをわかっているような書きぶりです。そして、ここにもやはり、まぎれもなく安房作品の世界が広がっていることに、驚かされます。単行本未収録作品。
(「うえの」275号 上野のれん会 1982年 掲載)


第七回「花豆の会の集い」 報告
味戸ケイコさんを迎えて
  安房さんの想い出溢れる会  根 岸 一 博

 前夜からの雨も上がり、花曇りの五月十四日の日曜日、母の日に「第七回花豆の会の集い」が日本女子大学桜楓二号館三階で開催されました。参加者は約百名でした。
 大勢のお客様がお待ちの中、プログラムの一番目の始まりです。朗読者の沢柳廸子さんが、読まれる作品にふさわしい和服姿で登壇。照明が落とされ、スポットライトで浮かび上がる中、朗読が始まり、誰もが沢柳さんに導かれ「木の葉の魚」の世界に浸りました。

 しばしの休憩の後、味戸ケイコさんと井上富雄さんの対談・お話がスタートしました。味戸さんは自分の仕事を振り返られ、安房さんとの出会いを語られました。最初の安房さんの作品との出会いは、『夢の果て』の最初に載っている「ほたる」だったそうです。『詩とメルヘン』の話になると井上さんが助け舟を出され、お話は進みました。
 安房さんとお会いしたのは僅か二度だったとのこと。二度目にお会いしたときは『花豆の煮えるまで』の編集者を交えての打ち合わせのとき。何か別れ難く場所を変えて話し合ったそうです。そのときに、函館の中学生時代、安房さんと同じ空気を吸い、あのどんよりとした函館の群青色の海を見ていたことがわかりとても驚いたそうです。
 そして多くの人との出会い、特に印象に残っている広島の井野口さんと岩手の小平さんのことを取り上げられ、そのお二人についての話は参加者皆の胸に深く刻まれたことと思います。多くの人に支えられ、また助けられここまで来られたことを感謝してお話を終えられました。
 そのあと、味戸さん・井上さんへの質疑応答があり、和やかな雰囲気のうちにお開きとなり、余韻を楽しむ中、会場はいつの間にかサイン会場となり、味戸さんにサインしていただく長蛇の列ができました。
 皆さんは名残り惜しそうに、でも満足された表情で会場をあとにされました。


 
安房直子さんを通じてのかけがえのない出会い
  ――『夢の果て』の出版に際して 味戸 ケイコ

 今日は、『夢の果て』のためなら、安房さんのためなら、たとえ火の中水の中、地の果てまでも、そんな思いで、話すことが苦手なことも省みず、ほんの少しだけお話しさせていただきに参りました。

まず、やなせたかしさんとの出会い
 安房直子さんと私が、作品を通じて出会ったのは今から三十年以上も前、一九七四年のことです。
 そのころ、『詩とメルヘン』という抒情にあふれた月刊誌を、やなせたかしさんが創刊されたばかりだったのですね。 安房さんのファンでこの月刊誌を知らない人はいらっしゃらないと思います。ちょうど多感な年代に出会って、影響を受けられた方も多いと思います。
 表現する側としても、プロとアマチュアの区別なく、同じ舞台でほとんど制約なしに表現することができましたし、たいへん大きな画面を与えられましたから、とてもやり甲斐がありました。惜しみなく情熱を注げ、力の限りやってみたいと思える素晴らしい場でした。そこで私は、たいへん意味のある幸運な出会いをすることになるのです。
 まず、やなせさんとの出会いですが、学生時代に私は「曙橋」という小さな街の小さなアパートに住んでおりました。学校へ行くのにはバスで新宿駅に行くか、長い坂道を登って地下鉄・丸の内線の四谷三丁目駅まで行くかの二つのルートがあったのですが、私は情緒のある坂道を歩くほうが好きでしたから、だいたい四谷三丁目駅へ行くほうを選びました。その坂道のなかほどにですが、何があったと思いますか。
 「やなせたかし」という控えめな表札の出た、蔦の絡んだ控えめな家があったのです。
 「あの漫画家のやなせたかしさんの家はここなんだ」と、思いながら毎日通っていたのですが、私にはご縁なんかまったくない方だと思っていたのです。ところがところが、実はちゃんとご縁があったのでした。

最初に出会った作品「ほたる」
 何年かたって、なんとその家の住人、やなせたかしさんの『詩とメルヘン』から、絵をお願いしたいと依頼がきたのです。単なる偶然なのか深い繋がりがあるのか、そのときは深く考えもしませんでした。
 やなせさんは、安房さんの作品を読まれて、味戸ケイコと組ませてくれました。やなせさんは何気なくなさったことだと思うのですが、これはあとでお話ししたいと思いますが、安房さんとは実に不思議な糸で繋がっていたのです。運命とはなんて不思議で神秘的なのでしょう。
 十年以上にもわたっての連載でしたが、一番初めに出会った作品は「ほたる」でした。 この作品を読ませていただいたとき、頭のてっぺんからつま先まで、何とも形容しがたいものに抱き取られていく感じに包まれたのです。感動するとか感激するとかというのとは、もっと違うものでした。あっ、魂のなかに同じ水が流れているという感じでした。この文章のどのシーンを切り取っても、私の感性を静かに揺さぶるものばかりでした。

 柿の実色の明かりが灯った山の駅の柵によりかかって貨物列車を見ている一郎。 後ろで結ばれた大きなリボンの白い服を着たかや子。
 ホームに忘れられたようにぽつんと置かれたトランクにちょこんと座った、かや子にそっくりな女の子。
 トランクの中から舞い上がる花吹雪のような無数のホタル……まるで無言劇のような静けさに満たされた画像が、いくつも浮かび上がってきました。
 運命的な出会いであったと思います。

 「ホタル」以後、十六編、全部で十七編の作品でおつきあいさせていただきましたが、安房さんの豊かな想像力に私は常に啓示を与えられながら描いたような気がいたします。

底に流れる同じ水の流れ
 青いアイリス畑のなかへ走りながら消えていく少女。
 海の上を着物の裾をひるがえして、滑るように走っていく奥さま。
 燃えるような夕焼けのなかに、うつむいて立っているヒマワリの精の娘など。
 安房さんの想像力が味戸ケイコの鉛筆や筆を動かしたのだ、だからこそ表現できたのだという気がいたします。
 夢と現実、生と死が混沌としている世界。光と影が優しく愛らしく、そして妖しく悲しく交錯する世界。

 こんな私のありきたりの言葉では、くくることのできない不思議な魅力を持った安房さんの宇宙。その安房さんの宇宙に私が共鳴したのです。そしてお互いに呼応していったのかもしれません。もしも読者の方で、ふたりがしっくりと溶け合っていると感じて、その世界の中に入って来られる方がいるとしたら、その響きが木霊のようになって、その方にも届いているからなのではないでしょうか。そして、このふたりの底に流れる水と同じ流れを、その方たちもお持ちなのではないでしょうか。

 このごろ、しきりと空気感というものを思うのです。この空気は私の場合、生まれ育ったハコダテという街に繋がっていくのですが、ハコダテという街は淋しい街だったなと思います。そんなふうにイメージされるのは、私の少女時代の心の問題、心の内面ともかかわりがあるのだと思いますが、海も深いかかわりがあったのではないかと思うのです。

心の内にある 暗く淋しい海
 小さいころから、私は海にもの凄い恐怖心を持っていたのです。穏やかで静かで明るい海も見て育ってきたはずだとは思うのですが、ハコダテの海のイメージは、暗くて淋しい海しか、私の心の中にはないのですね。小さいころ、父とボートに乗っていて、落ちて溺れた体験や、小学生のとき、台風で洞爺丸転覆事故が起きて、それはそれは凄い数の人が海底に沈んでいるというイメージから離れられなくて、ということもあったのです。また、夜など海が時化たりすると、海鳴りが船の汽笛といっしょに聞こえてきて、どんなに布団をかぶっても恐ろしい音で聞こえてくるのですね。
 また、土用の丑の日になると、母は近くの大森浜へ子どもたちを連れて行きました。ここは石川啄木がうたった浜ですが、この日に海の水に足を入れると、一年中健康に暮らせると母は信じて疑わなかったのです。子どもたちを代わる代わる海に入れたのですが、私は母が何をしても、どんなに手をつないでくれていても、一歩足を入れたらズルズルと体が引きずり込まれていってしまうように思えて、真っ青な顔になりました。
 それで、私の海の原風景はこんな大人になった今でも、そんな子どものころ見て感じた海なのです。

 こんな海を同じころ見ていて同じように感じていた方がいらっしゃったのですね。不思議でたまらないのですが、それが安房さんだったのです。私は安房さんの生い立ちなど何も知らなかったのですが…。

ティールームでの長いおしゃべり
一九九二年に偕成社の編集の別府章子さんから、安房さんの本の挿絵をお願いしたいという依頼が来ました。「安房さんが、味戸さんにぜひお願いしてもらってほしいとおっしゃっている」と。私はぜひ描かせてほしいと返事をしました。
 それで早速、新宿のティールームで、打ち合わせることになったのですが、安房さんが殊の外喜んでくださって、意外にもこの日、打ち合わせにもいらしてくれたのです。私の人生はびっくり人生といってもいいもので、それまでたくさんご一緒の仕事をしてきましたが、すべてお任せしますということで、ただの一度も打ち合わせというものをしたことがなかったのです。
とても嬉しかったので、この日のことは何もかもはっきり覚えています。
 私は張り切って紫陽花の花を胸に挿して行きました。安房さんは白いワンピース姿で籐のバッグを持ってサンダルを履いておられました。声が透明な楽器みたいに澄んでいて嬉しそうな笑い声はキラキラする光のようで、とても明るい日向のような印象を受けました。なにせ、こんなにきちんと落ち着いてお会いするのは初めてでしたから、安房さんって小鳥のように明るい方なのだなあと思ったものでした。
 安房さんはこの作品への思いや、絵についての希望を話されました。自分が育った頃の時代設定で、小夜という少女を描いてほしい、と。「花豆の煮えるまで」というタイトルも、別府さんと話されて、その場で決められました。
 別府さんが帰られてからも、二人ともなんだかとても別れがたく、このまま帰ってしまうのがもったいなくて、懐かしくて二人とも何でかわからないけれどもわかるというような感じで、いつの間にか、ごく自然に別のティールームの椅子に座っていたのです。
安房さんは、お人形のこと、リボンのこと、お料理のことや、息子さんが「大人になってだんだん離れていくのが寂しい」など、たくさん話されました。

 途中でミルクのグラスを倒してしまって、安房さんはあわててハンカチでテーブルの上を拭かれました。
 「ほんとうにごめんなさい。私っていつもこんな調子なの」ってお茶目そうな表情をして、それがとってもかわいらしい感じでした。私は、とても親しい気持ちを抱きました。
 実は私も凄い天然ボケで、いつも常識では考えられないような失敗ばかりしていましたので、「私のほうがもっと凄い失敗をするんです」といって、それからはお互いに失敗談をいくつもいくつも披露しあって、心から笑い合いました。
 「仕事ではほとんどミスをしないけれど、お互いに執筆や制作に気をとられていると、日常の中ですっぽ抜けてしまうことが多いわね」
と慰めあって、作家安房直子ではなく、日々の暮らしの中で生きておられる安房さんに触れることができました。ご主人の峰岸明さんが見守り支えられて、静かで平和な幸せな生活があったからこそ、安房さんは安心してたくさんの優れた作品を執筆し生み出すことができたのですね。私も夫が支えてくれて、なんとかささやかな暮らしを保ってくれていたから絵を描いてこられたと思っていましたので、安房さんのお話に心から共感することができました。
 
そのあとなのです。中学のとき、おとうさまの転勤でハコダテに住んでいたということを伺ったのは。二人は同じ年に生まれて、同じハコダテという街に住んでいたのです。とても驚きました。
 そして、もっと驚いたのは、
 「函館の海の色って不思議な色をしていたわね。暗くて恐いみたいだった」
と、いわれたことでした。安房さんと私は同じ年齢のとき、ハコダテの海の色を見て、似たような感情を抱いていたのです。これは凄いことですね。
 先ほど、安房さんと私の内には同じ水が流れていると感じたといいましたが、水だけではなく同じ空気までも流れていたのです。
安房さんにいただいた大切なもの 
そんな二人がトウキョウの、それも同じ『詩とメルヘン』という月刊誌の中で出会うのですから、本当に不思議な糸で繋がっていたのだと思います。
 安房さんは海の出てくるお話をたくさん書かれていますね。「海の館のひらめ」とか「鳥」とか「鳥にさらわれた娘」とか……。この『夢の果て』の中だけでも「夢の果て」「青い貝」「奥さまの耳飾り」「木の葉の魚」と四作もあるのです。これらの作品を書かれたとき、果たして安房さんは、心の中の函館の海を見つめられていたのでしょうか? どうだったのでしょうか?
 こんなに親しく二人っきりでお喋りできたことは、本当に不思議な出来事として、私の中にしまわれています。遺作となる作品に絵を添える仕事を与えてくださって、そのうえ私にこんな不思議なプレゼントをしてくださったのですから。

 それまできちんとお会いして話をしたことはなかったのです。一度だけ挨拶を交わしたことはありました。それは私の『あじさいの少女』という本の出版記念会と初めての個展のオープニング、この二つのお祝いを兼ねての席で、今から二十三年も前の話です。このときの私は緊張のきわみで、倒れる寸前という感じでした。けれど安房さんと初めてお会いしたにもかかわらず、これは不思議なのですが、初めてお会いした方のような気がしなかったのです。
 その後、私の個展に何度か足を運んでくださいましたが、お目にかかれたことはありませんでした。「はくちょう」の絵を買ってくださったこともありました。お便りも何通かいただきました。
 「私はトリが好きです。味戸さんの絵がそばにあってうれしいです」
 
とても淡々としたお付き合いだったと思います。 それなのに『花豆の煮えるまで』のお仕事で、あんなに濃厚に安房さんに接することができたのが不思議でなりません。安房さんは別府さんとも繋いでくれました。それにこの本で、「赤い鳥さし絵賞」というプレゼントまでいただきました。

『白樺のテーブル』と美樹ちゃん
 プレゼントといえば、安房さんはその作品を仲立ちにして、私にかけがえのない人を何人も与えてくださいました。
 『白樺のテーブル』という安房直子作、味戸ケイコ絵の絵本があります。この絵本を愛読していた美樹ちゃんという少女のお母さんで、井野口慧子さんという詩人の方から、ある日、といってももう二十五年くらい前の話なのですが、広島から突然電話をいただいたのです。
 「今、東広島の美術館で絵本原画展が開催されていて、娘の好きだった『白樺のテーブル』の原画も展示されてあります。どうかこの絵を譲っていただけないでしょうか」と。
 美樹ちゃんは「私、なんでだかわからないけど、このお話が好きなの!」といって病院のベッドでも見ていたのだそうです。けれど、たったの十一歳でこの世を去ってしまわれたというのです。
 井野口さんと何度もお便りを交わすようになって、美樹ちゃんのことを知れば知るほど、前から知っている少女のような不思議な気持ちに打たれていったのです。重い病気を抱えながらも利発でキラキラ輝くように明るく、周りにいる人たちをも幸せにするような少女でした。ピアノを弾いたりバレエを踊るのが好きな少女でした。文を書いたり絵を描いたり、小さなビーズのお人形を作るのが好きな少女でした。そんな美樹ちゃんの作品を見ながら、私は不思議な気持ちに満たされて、『あじさいの少女』という本を作りました。
 『白樺のテーブル』が生まれたちょうど同じ年に美樹ちゃんが誕生しているのです。白樺の精の少女が、あじさいの咲き乱れる森の奥へ走りながら消えてしまうシーンがあるのですが、美しい樹という名前を持った美樹ちゃんが消えていったのも、ちょうど紫陽花が盛りと咲くころだったそうなのです。
 美樹ちゃんのお母さんの井野口さんとは、あれからずうっと仲良くしていただいており、安房さんは美樹ちゃんを私に、そして井野口さんをも繋いでくれたのでした。

「花豆の会」と小平範男さん 
もう一人、小平範男さんという方はたいへんな安房さんのファンでした。味戸ケイコのファンでもありました。厳しい真っすぐなまなざしを持った方で、岩手でりんご園を営んでおられました。小平さんは大学を卒業されてから、自分の望んだ道が見つからず、鬱々として心の折り合いがつけられず、悩みぬいて死さえ考えていた時期に、運良く安房さんの作品と出会って救われたのだといわれました。
 先ほど、お話しした初個展と『あじさいの少女』の出版のお祝い会で、私が初めて安房さんにお会いしたのと同じように、この席で初めて小平さんにもお会いしました。安房さんと小平さんも、初めて会われたのだと思います。井野口さんも安房さんと小平さんにお会いになったのですね。
 この日、小平さんは大きな段ボール箱を開けて、「サインしていただけないでしょうか?」といわれました。中には、安房さんと味戸ケイコの本がぎっしり入っていたので、本当にびっくりしてしまいました。

 これも不思議なことなのですが、小平さんは「花豆の会」の世話人をされている蓮見啓さんと、作家宇佐見英治氏の関係で知りあわれていたのですね。安房さんの七回忌の頃に、「花豆の会」発足のきっかけをつくられたのも、小平さんだったのです。安房さんは小平さんをも私に繋いでくれました。そのことをなぜ過去形でいわなければならないかといいますと、小平さんも若くして、安房さんと美樹ちゃんと同じ世界へ逝ってしまったからなのです。

『詩とメルヘン』井上富雄さんとの再会
さて、ようやくこの『夢の果て』の話に入りますが、二〇〇四年で『詩とメルヘン』が三十年をもって休刊ということになりました。『詩とメルヘン』は永遠に続くように思っていましたが、やはりどこにでも終わりはありますね。そのお別れパーティーが開かれたので、なんとも寂しい気持ちで出かけていきました。
 そしてその会場で、なんとあのころの『詩とメルヘン』編集者だった井上富雄さんに偶然に再会して驚きました。井上さんは、あのころの安房さんと味戸ケイコの連載を担当してくださっていた思い出深い編集者さんでした。偶然と思ったのは私の大きな間違いで、井上さんはちゃんとした計画を胸に秘めて、いらしていたのです。
 「あのころの安房さんと味戸さんの連載をまとめて出版したいのですが、如何でしょうか?」
と、ご相談くださったのですから。
 不思議な糸はここでも繋がっていたのを感じました。

 現在は瑞雲舎の社長になっておいででした。
 「ずっと長い間、この本を出したいと思っていました。これは恐らく、自分にしかやれないこと、自分の使命だと思ってここにやって来ました」
と、井上さんはいわれました。
 「私もずうっとそう思っていました」と、私はまるで夢を見ているような気持ちでそんなふうに答えていたのです。ずうっと思っていた夢が形になろうとしている。忘れ去られたとばかり思っていた作品たちが再び息を吹き返そうとしている。あの作品たちをちゃんと覚えていてくれた人がいらしたのだ。そして蘇らせようとしてくれている。こんな嬉しいことはありませんでした。
 自分でいうのもおこがましいのですが、このまま埋もれさせてしまうにはあまりにも可哀想だという絵も、何点かありましたし、安房さんとご一緒した意味のある仕事でしたから、もう一度光を浴びさせてあげることができたなら、どんなに安房さんと味戸ケイコの作品たちも喜ぶことだろうと思いました。
 井上さんが作ってくれたページ割りによると、絵がかなりの枚数入ることになるのがわかりました。それも全部カラーでということなので、びっくりして、これは凄い本になるのではないかと思いました。

 昔の絵がちゃんとした形で残っているか心配でしたが、昔の絵を引っ張り出して、なんとか全体の三分の一は使えそうなのでホッとしました。小平さんの奥様、小平玲子さんから二点と、K美術館の越沼正さんから二点を貸していただきました。残りは新しく描きたいと思いました。
 それで、四か月以上を費やしてしまいましたが、あのころに戻ったような新鮮な気持ちになって描けた、至福の時間でした。新しく描いた絵の出来映えはどうだったのかはわかりませんが、この十七編の物語を繰り返し読むうちに、昔よりはるかに安房さんの作品が好きになっているのを感じました。
 井上さんのなかには最初からこの本のイメージが出来上がっていらしたようで、「損得抜きで、納得のいく最高に良い本を作りましょう」といってくださったのです。こんなに尊敬と信頼のできる力強い言葉はありませんでした。
 こうして一年は瞬く間に過ぎて、二〇〇五年十二月にようやく出版の運びとなりました。埋み火の中から再び命を吹き込まれて、静かに燃え上がったようでした。

安房さんとの深く不思議な繋がり
 これは『詩とメルヘン』という場があり、安房直子さんという魅力的な作家の作品があり、味戸ケイコの絵があり、井上富雄さんの粘り強い思いがあったから……これらが深く不思議な糸で繋がっていたからこそ、誕生できた本なのですね。
安房さんの作品世界は、三十年たった今も色褪せることなく、いまだに光を放っているように思えます。皆さんもきっとそう思われているのではないでしょうか。
どんな作家の作品でも、それに共鳴し遺していきたいという思いを持った人に恵まれなければ、忘れ去られてしまうでしょう。ですから、この本の出版はたいへん意味のあることと思っております。誇りを持って、はっきりそういえます。
 そして、この本を大切に思ってくださる方たちに御礼をいいたい気持ちでいっぱいです。どんなに意味のある本が誕生したとしても、それを大切に思ってくださる方たちがいなければ、その素晴らしい意味も吹き飛び、輝きも消えてしまうでしょう。
 安房さんを中心とした不思議な糸はまだまだ長く、彩り濃く紡がれ、繋がれていくと思います。この「花豆の会」を支えてくださっている、蓮見啓さん、南史子さん、生沢あゆむさん、そしてお手伝いしてくださっている方たち、また安房さんの作品世界を愛する方たちとも、これからも深く深く繋がっていくと思っています。

この短い文章は、安房直子さんが『詩とメルヘン』誌上に、私のために書いてくださったものです。

味戸ケイコさんの絵の中の少女に、私は、いつかたしかに出会った事があ ると思う。絵の中の少女は、風に吹かれて、花を摘んだり鳥を抱いたりしている。その髪の毛のひとすじひとすじに、私は、たしかな手ざわりを感じる。花の匂いも、鳥の羽ばたきも、闇の深さも光のまぶしさも、ふしぎなほど鮮やかにリアルに伝わって来て、見るたびに、私は、はっとする。 最後になりましたが、このような素敵な方たちとの語らいの場を作っていただきまして、有難うございました。

2006.05.14「花豆の会の集い」 での講演原稿


 

安房さんの愛した図書館か 蓮見けい

今年2月、西武新宿線田無駅前にある「西東京市中央図書館」を、桜井利枝さんにご紹介いただき、峰岸明さんと、世話人の南、生沢、蓮見の5人で訪問しました。
西東京市の図書館では、安房さんの作品を「永年保存」扱いしているそうで、副館長の奈良登喜江さんに、収録本も含めて百二十余冊ある安房さんの本を見せていただきました。
安房さんはお住まいの近くの下保谷図書館をよく利用されていたのですが、当時、そこに勤務されていた奈良さんは、「小柄な安房さんがひっそりと書架に佇んでいらしたお姿が懐かしく思い出されます。優しい暖かな作品は、穏やかな安房さんのお人柄そのもののような気がします」と言われていました。安房さんは、下保谷図書館に本を寄贈したりなど、図書館と暖かな交流があったようです。
館長の小池博さんも、お忙しいなかを立ち寄って声をかけてくださり、感激しました。安房さんの故郷とも言える西東京市の図書館は、本をとても愛している方々の手によって、生き生きとした生命力や人間味の感じられる「場」になっていると思いました。
安房さんが愛した下保谷図書館は、現在改装中の保谷駅ビルの4階に、平成20年頃移転する予定だそうです。現在の下保谷図書館の建物は、先々、福祉会館に生まれ変わるとか。駅ビルでは子どもが足を運びにくいので、この福祉会館に児童図書室を残し、「おはなし出張サービス」をしてはどうか、という声も上っているそうです。
桜井利枝さんは、下保谷4丁目にお住まいで、安房さんの日本女子大の先輩にあたる方です。西東京市の日本女子大の卒業生の集まり(桜楓会西東京支部)で安房さんを紹介してくださいました。花豆文庫にもメンバーを誘って参加されるとのことです。安房さんの愛した保谷、西東京市の中にも、安房さんの作品を子ども達に伝えていってくださる地域の方々の輪が広がるといいなあ、と願っています。

 
第二花豆文庫 軽井沢に誕生! 生沢あゆむ

  軽井沢の童話の本のお店「ばん」の中に、第二花豆文庫が誕生しました。
                  美しい自然の中で、安房さんの世界を楽しめます

第二花豆文庫のそもそもの始まり
 話が持ち上がったのは2005年の夏。安房直子さんの実のお姉様、谷口紘子さんが、軽井沢にある小さな絵本のお店「ばん」を訪ねられたのがきっかけです。
お店の奥の「くるみ文庫」では、本の貸し出しもしているとのことで、直子さんのご本も何冊か並んでいたそうです。お店の主のまごめやすこさんは、安房さんのファンでもあり、童話作家でもある方でした。
後日谷口さんから、この話を伺った私たち花豆の会のスタッフは、(第二花豆文庫を、ここに置いて頂いてはどうかしら・・・?)という思いがふくらみました。
 花豆文庫は、多くの方々から安房さんの著書を寄贈して頂いて出来た文庫ですが、同じ本を複数頂く場合があります。かねてから、それら二冊目の本をまとめて、「第二花豆文庫」とし、どこかに寄贈したいと思っていました。
 軽井沢に山荘をお持ちの安房さんは、自然の散策がお好きで、軽井沢を舞台に多くの作品を書かれているのです。ご自分の本が、軽井沢の緑の中で読まれたら、安房さんはきっと喜ばれるにちがいない、と確信した私たちは、さっそくまごめさんにお話しし、快諾して頂けたのです。
「ばん」は、晩秋から春先までは、お店がお休みとなりますが、暖かい季節、特に夏休みには、子どもたちが読書を楽しめます。きっと、安房さんの作品とも仲良くなってくれることでしょう。子どもだけでなく、皆様にもぜひ立ち寄って頂きたいと思います。    (南史子)
             
林の中の清らかな夢
 ナナカマドの実がみごとに輝く十月末の軽井沢、花豆スタッフ四人(蓮見、南、生沢、坂口)は、駅から林の中の道を二十五分ほど歩いて、まごめやすこさんの童話の店「ばん」へと向かいました。
 色とりどりの花に囲まれた、愛らしいコテッジふうの家を見つけた時、ほっと心が和みました。 ベルを鳴らすと、「はーい」という澄んだ声がして、チロリアンエプロンに身を包んだ、ふわっと柔らかい雰囲気の女性が現れました。それが、まごめさん。声の感じといい、姿といい、まるで、安房さんに再会できたような気分です。初対面なのに懐かしく、温かい思いで満たされました。
 お店の棚には、子どもたちが手を伸ばしたくなる高さで、ワイルドスミス、安野光雅などの美しい絵本と、ファージョン、南吉などの童話が並んでいます。
「こちらがくるみ文庫です」と案内された奥の部屋は、秋の日ざしが溢れ、アットホームな様子で蔵書が詰まっています。そして、その一角に、「第二花豆文庫・安房直子の本」と書いて、私どもが前もってお送りした本が並んでいました。
ここで見る安房さんの本たちは、さらに新鮮。中軽井沢で過ごした安房さんの日々が瞬くよう。「また、私の場所に戻れてうれしいわ」と、私には安房さんの煌く声が、確かに聞こえました。
 まごめさんのご著書もあります。書くだけでなく、こうして本を子どもたちに手渡していこうというまごめさんの夢。ここに安房さんの第二花豆文庫を開けるのは、何よりもふさわしいことと感慨に浸りました。

※ばんについてのお問合せは、花豆の会事務局まで


 
通り抜ける風の音 ―安房さんの山荘 坂口正彦

「ばん」訪問の帰途、安房さんの愛した
軽井沢の山荘に足をのばしました。

安房さんが軽井沢に別荘を持っていたことを知った時は少し驚いたものだった。安房さんの作風と人気リゾート地の軽井沢の印象が私の心の中ではなじまなかったからだと思う。安房さんの別荘を訪れる機会を得た今回、私はそれを確かめたいと思っていた。

中軽井沢の駅を降り、小奇麗な駅舎から見渡す光景、車の往来が多い国道の歩道を歩く道すがら、見渡して目に入るのはありがちなリゾート地の光景だった。しかし、いくつも道を曲がるたびに往来は次第になくなっていき、周囲には高い木がそびえ立っていく。気が付くと足元は落ち葉で敷き詰められ、山道のような道を歩いていた。間隔をおいて現れる建物は木々の中に隠れるように目立たず、森の中を歩いているかのようだった。そして、言われなければ通り過ぎてしまいそうな景色の一角にたどりついた。

高床の平屋の建物は飾りも色もなくひっそりとたたずみ、庭も大きな木が一本ある他は落ち葉ばかり。見上げると、それ以上に高い周囲の木々に覆い隠されるような薄暗いそこは、通り抜ける風の音だけが聞こえる、喧騒と時間から切り離されたような空間だった。

じっと立ち尽くして、私は安房さんの作品を初めて読んだ時の感覚をふと思い出した。あの透明感、静寂、幻想に通じる空気がこの場所にはあると思えた。実際、作品の中に出てくる山や自然の光景は軽井沢の野や山がベースになっているものも多いと言う。作品の原景を垣間見ることができたような気がした。



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